設計図は頭の中に


前の会社で情報システム担当をしていたときに、最後に担当したプロジェクトが「daxfnd(ダックスフント)」という適当に名称を付けたものだった。 このプロジェクトを立ち上げたときには、システム担当者は自分しかいなかったので、必然的に雑用兼プロジェクトリーダーとなり、様々な書類を纏めた。 見積もりを取るための仕様書も纏め、システム構築業者の選定も行った。
ただ、最も重要な書類は作っていなかった。 否、作っていなかったのではなく、作る時間がなかったのだ。 それは、ユーザー企業のシステム担当者としての、システム全体の設計図と詳細仕様書である。 これらは全て、未だに自分の頭の中に存在している。 ドキュメントとして残す事が出来なかったという事は、前の会社ではdaxfndプロジェクトを最後まで終わらせる事が出来ない事を意味している。 いや、最後までどころか基本的な部分の構築すら満足に出来ないかもしれない。
何故、そんな事態になってしまったのだろうか? 理由は明白である。 任期が、残り1年と通告されていながら、実際には僅か2週間しかなかったからである。 総額1億円近くになるプロジェクトの設計図や詳細仕様書を纏め上げるのに、2週間という時間は皆無に等しい事だ。 しかも、そんな事態になった理由が担当替えというレベルではなく、異動という想定外の事態だったので、日常業務に関わる引き継ぎを纏めるだけで、連日徹夜に近い時間が割かれた。 なので、その会社にしては巨大なプロジェクトの設計図や詳細仕様書なんて、ドキュメント化に着手すら出来なかった。
だから、未だに設計図は自分の頭の中に残っている。
民間放送局の全体業務を効率化するシステムの設計図と詳細仕様書。 ドキュメント化していないという事は、著作権は自分にあるんだよな。 たぶん。 と言う事は、高く買ってくれる企業があれば、その企業の業務に適合するようにインプリメントして、売却しても良いと言う事だよな。 誰も引き留めなかったし、退職金も安かったし。 退職金の残りとして、自分が主導して、前の会社のライバル会社に売却しても良いって事だよな。 そうだよな。
それが知的所有権。
知的所有権を軽視する企業には最終的に天罰が下るんだろうな。 そうあって欲しいし、それが日本の経済を発展させるためには必要な事だと思っている。 知的所有権を重視する企業のみが生き残る社会に、今の日本がなりつつあるのだと思いたい。


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