西暦2000年、世の中はミレニアムとか言って大層盛り上がっていたが、こちらは年始早々から最悪なスタートとなっていた。 仕事をする気も失せてしまい、失意のどん底にあえいでいた。 現在、技術局長という役職にある方(仮にKo氏)が当時は直属の上司で、その下に人の話を全く聞かない副部長という立場の方(仮にSa氏)がおられた。 そのSa氏は未だに出世も異動もせずに同じ仕事を同じように行い、部内に軋轢を生じしているようなのだが…そんなことはどうでも良い。 とにかく、学習しない方だと言うことだけ記しておく。
当時は情報システム部門ではなく放送系部門に所属していたのだが、日々同じ単純作業の繰り返しというボクにとっては苦痛でしかない部署だった。 新たなことを提案してもSa氏によって握りつぶされ、その上のKo氏まで伝わらないことが多々あり、単調な業務の繰り返しで本当に苦痛でしかない日々を過ごしていた。
ある日、そんな苦痛に耐えかねてKo氏に辞表を提出した。 会社を辞めて、ひと月くらいのんびりと過ごして、それから転職をしようと考えていたのだ。 その年はたまたま放送系技術者の募集が多々あり、またギリギリ30代前半という年齢もあり未だ可能性はあった時代だった。
提出した辞表は一旦受理されたが、Ko氏が他の部署の部長(仮にKi氏)に相談したところ受け取ったことを諫められたらしく、破棄されることとなった。 2001年に情報システム部門がデジタル放送へ向けた設計・開発部門として新たな出発をするので、そこのメンバーとして必要であると言うことで慰留されたのであった。
それが、情報システム担当者になるきっかけだった。
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